葛飾北斎は、1760年~1849年を生きた江戸時代後期の浮世絵師。88歳でこの世を去ったが、当時の平均寿命が30際台だった中、かなり長寿であったその人生で3万点を超える作品を世に出した。
葛飾北斎といえばこの作品「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」ですよね。
赤富士の雲の表現もですが、独特の有機的な表現は迫力と生命力すら感じさせます。ゴッホを始めとした印象派の画家達に影響を与えたというのもうなずけます。
この波の表現は海外でも「グレートウェーブ」と呼ばれ北斎の代名詞になっており、彼の才能を知らしめるものとなっていますが、実はここに至るまで北斎はなんと30年以上も費やしたというのです。
初期の波の表現
次の作品は1797年、北斎が37歳で描いたもの。
北斎の絵の中でも、波が描かれた一番古いものです。北斎特有の繊細な線表現が見て取れますが、せりたった波にグレートウェーブと呼べるような印象は皆無です。
波はあくまで背景という位置づけなので、控えめに描かれていると感じるかもしれません。
それではその後に描いたものをみてみましょう。
約8年後の波の表現
こちらは1805年頃、北斎45歳頃の作品。
大きな波のうねりは迫力こそ感じますが、あの襲いかかるような白波にはまだほど遠い印象です。
これはこれで構図やコントラスト、船の臨場感など卓越したものを感じます。
さらに2年後
同じような構図の作品を改めて発表していますが、北斎が波の迫力を表現することにこだわりを感じていたことが感じ取れます。
はじめの作品と比較するとずいぶんあの「神奈川沖浪裏」に近づいてはきているのですが、それでも襲いかかる荒々しさ、白く舞い上がる印象は控えめに感じます。
そして完成したグレートウェーブ
1833年、初期の作品からおよそ36年が経ち、名所浮世絵揃物「富嶽三十六景」の一つとして描かれた誰もが知る作品『神奈川沖浪裏』である。
波頭が崩れる様子は、普通に見る限りは抽象的表現ですが、荒々しさと迫力・力強さを生々しく感じさせてくれます。
この表現にゴッホが絶賛したほか、ドビュッシーがこの絵から着想し「海」を書いたとされています。
この後に北斎が描いた波では、好んでこの表現が使われていくところを見ると、過去の作品はその途上であったと考えられます。
実は初期の波も素晴らしい描写だった?
しかしグレートウェーブが様々な表現から悩み抜いてたどり着いたのかと言うと少し疑問が残ります。
先程、抽象的表現と述べた波頭が崩れる様子。では崩れる前は?実際に崩れるときは?波頭はどんな形をしているのだろうか?
ここで、波をハイスピードカメラで収めているフランス人写真家、ピエール・カロー氏の作品を見てみる。
ハイスピードカメラで撮影した波の写真
波のうねりの一瞬をハイスピードカメラが固く凍っているかのように捉えている。
いかがでしょうか?
北斎の波の表現の移り変わりに似ていると感じませんか?
実は近年このハイスピードカメラの写真が北斎の波の表現に似ていると話題になり、改めて北斎の優れた描写力が認知されたことがありましたが、他の波頭が崩れる前の写真と過去の作品を比較してみると、そちらも似ていることが見て取れます。
名画『神奈川沖浪裏』の後に初期作品をみると、発展途上に見えた北斎の波の表現。
本当は、波頭の崩れる前の様子を表現していただけなのかもしれません。
その一瞬一瞬を正確に切り取っていた北斎。やはりはじめから天才なのかもしれません。