筆者は昭和50年代生まれで人口よりも牛の数が多いようなド田舎に住みながらも、5歳からピアノをはじめ音大(地方の短大で、しかもピアノ専攻ではありませんが)まで行きました。
短大卒業後はピアノとは全く無縁の仕事に就き、鍵盤に触れる機会は無くなりましたが、これまでの人生で「ピアノ習ってて良かったなぁ」と思うことがありましたので、それをまとめてみました。
ちなみに現在のピアノの実力は、スタンダードなソナタ程度は引っ掛かりながらもなんとか弾ける程度です。(今はショパンのノクターンをもう一度弾きたいなと、たまに練習しています。)
今回は「ピアノやめたい病をどう乗り越えたか」について書いてみます。
ピカピカのピアノで第1次ピアノやめたい病克服
筆者がピアノを習うきっかけとなったのは母親です。自分ができなかったことを娘にやらせたかった、更にタイミングよく近くでピアノ教室が新しくできるということで始めたピアノ。練習嫌いでレッスンの度に怒られ、いつやめようかとそればかり考えていました。そんな娘を姿を見て、少しでもピアノを続けてほしいと願った?両親は、筆者が小学3年生の時にピアノ(アップライト)を買ってくれました。家にピカピカのピアノがあるとやはり嬉しいもので、自然とピアノに向かうようになり、こうやって第1次ピアノやめたい病を克服しました。
妹のピアノやめる宣言で第2次ピアノやめたい病克服
筆者には4つ下の妹がいて、二人姉妹です。同じお腹から生まれてこうも違うのかというぐらい、性格がはっきりと分かれています。まじめな長女と自由奔放な次女というドラマの設定にありがちな性格で、もちろん妹もピアノを習っていました。そして妹も私と同じくピアノやめたい病を発症。我が道を行く妹は、両親に「私ピアノ嫌いだからやめる」と宣言しあっさりやめてしまいました。残されたのは、姉と新しいピアノ・・・。ここでまじめなお姉ちゃん発動!せっかくピアノ買ってもらったのに、私までやめたら両親が悲しむ・・・。もはやピアノやめたい病ではなく、ピアノやめられないんじゃ?!病でした。
中学生でピアノやめたらもったいなくない?!病発症
小学校当時、私の周りの友達はみんなピアノを習っていましたが、中学生になると、そのほとんどがピアノをやめてしまいました。そう、みんな部活に入ったのです。私も何か部活に入ろうかと思いましたが、先輩後輩の縦社会にビビり、運動系文化系どの部活にも入りませんでした。なので、ピアノをやめる理由もなく、むしろ「ここでやめたらもったいなくない?」という邪な思いで続けることとなったのです。
坂本龍一のおかげでピアノって楽しい♪病発症
中学生当時、レッスンではクラシック中心の曲を弾いていましたが、ここで衝撃的なピアノ曲と出会います。坂本龍一の「energy flow」(You Tubeの動画はこちら)
テレビのコマーシャルで流れ、そのCDはJポップをぶっちぎる勢いで売れに売れ、皆さんも一度は耳にしたことがある、あの切ないメロディーのピアノ曲です。実はそんなに難しいピアノテクニックは必要なくて、中学生の私でも練習すれば最後まで弾けました。いつもの練習曲とは違うちょっと大人びたメロディーにすっかりピアノのの楽しさにはまってしまいました。そして気付きました。練習すればするだけ上手くなる。こうやって私はピアノやめたい病を乗り越えたのです。(あー、動画観てたらピアノ弾きたくなってきた!!)
続く。