福島第一原発事故はなぜ止められなかったのか|2011年3月11日からの5日間を技術的に解説【事故編】

福島第一原発事故とは

福島第一原発事故とは、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波により、東京電力・福島第一原子力発電所(福島県双葉郡大熊町・双葉町)で発生した原子力事故です。1号機から3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起こり、1号機・3号機・4号機で水素爆発が発生して、大量の放射性物質が環境中に放出されました。

この事故は、1986年のチェルノブイリ原発事故以来、最も深刻な原子力事故となりました。国際原子力事象評価尺度(INES)では、当初レベル5と評価されましたが、後に最高値であるレベル7(深刻な事故)に引き上げられています。レベル7に分類されている事故は、世界でチェルノブイリと福島第一の2件のみです。

このシリーズで扱ってきた他の事故と比較すると、その位置づけがはっきりします。1999年の東海村JCO臨界事故がレベル4、1997年の動燃東海事業所火災爆発事故がレベル3、1981年の敦賀原発放射能漏れ事故がレベル2、2004年の美浜3号機事故がレベル1でした。福島第一は、それらとは桁が違う規模の事故です。

原発の安全は「止める・冷やす・閉じ込める」で成り立っている

事故の経緯を理解するために、原子力発電所の安全の考え方を押さえておきます。

原発の安全は、3つの機能で守られています。核分裂の連鎖反応を「止める」、崩壊熱を「冷やす」、放射性物質を「閉じ込める」の3つです。

重要なのは、原子炉は「止めれば終わり」ではないという点です。核分裂反応を止めた後も、燃料の中では放射性物質が崩壊し続け、熱を出し続けます。これを崩壊熱と呼びます。停止直後の崩壊熱は運転時の数パーセントに達し、冷却を止めればすぐに燃料は過熱します。つまり、止めた後こそ冷やし続けなければならないのです。

福島第一では、この3つのうち「止める」だけが成功し、「冷やす」が失われ、その結果「閉じ込める」も破られました。事故の全体像は、この一文に集約されます。

3月11日14時46分、地震発生

2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生しました。福島第一原子力発電所は震度6強を観測しています。

このとき運転中だった1号機から3号機は、すべて自動停止しました。「止める」機能は正常に働いています。同時に外部電源が失われましたが、非常用ディーゼル発電機が起動し、炉心の冷却が始まりました。この時点では、原子炉のパラメータに異常は見られていません。

1号機では、非常用復水器(IC)と呼ばれる装置が自動起動しました。ICは、原子炉で発生した蒸気を冷やして水に戻し、原子炉へ返すことで炉心を冷却する装置です。電源がなくても動作しうる設計になっており、1号機だけに搭載されていました。

⚠️ 実は、この時点で運転員が行った操作が、後に大きな論点になります。1号機の運転員は、自動起動から11分後にICを手動で停止しました。この操作については後述します。

15時30分頃、津波が電源を奪った

地震から約50分後、津波が発電所を襲いました。

津波の高さは14〜15メートルに達したとされています。この津波によって、原子炉の熱を海へ逃がすための海水ポンプなど屋外設備が破壊され、敷地のほぼ全域が浸水しました。さらにタービン建屋などの内部にも水が流れ込み、地下に設置されていた非常用ディーゼル発電機と配電盤が水没しました。

結果として起きたのが、全交流電源喪失(SBO)です。外部電源も、非常用発電機も、さらに計器やバッテリーを支える直流電源までもが失われました。中央制御室の照明は消え、計器は次々と表示を失いました。運転員は、原子炉の中がどうなっているのかを知る手段そのものを奪われたのです。

この瞬間、「冷やす」機能が完全に失われました。緊急炉心冷却系(ECCS)も動きません。福島第一原発の事故は、ここから後戻りできない段階に入ります。

1号機|非常用復水器は、動いていなかった

1号機で最初に炉心溶融が始まりました。その背景には、非常用復水器(IC)をめぐる深刻な誤認がありました。

前述のとおり、1号機の運転員は地震直後にICを手動停止していました。東京電力は長らく、この操作を「原子炉の冷却材温度変化率を毎時55℃以内に抑えるという手順書の規定を守るため」と説明してきました。しかし原子力規制委員会が2014年にまとめた事故分析の中間報告書は、複数の運転員から異なる証言を得ています。配管から冷却材が漏れていないかを確認するためにICを止めた、というものです。同報告書は、運転員のこの判断は合理的であり、むしろ東京電力の説明の方が合理性を欠いていると評価しています。

問題は、その後に起きたことです。津波によって電源が失われると、ICの隔離弁の状態を示す表示灯が消え、運転員はICが動いているのかどうかを判断できなくなりました。国会事故調は、ICがその後に操作不能となった原因について、炉心損傷によってICの蒸気管に水素ガスが充満したためと推察しています。

東京電力の本店や政府は、11日の夕方から夜にかけて、ICが動いており注水が続いていると認識していました。実際には冷却は行われておらず、水位はどんどん下がっていたのです。この認識のずれが、初動の遅れを生みました。

11日19時30分、1号機の燃料は水位低下によって完全に露出し、炉心溶融が始まったと推定されています。翌12日の明け方6時頃には、全燃料がメルトダウンに至ったとみられます。地震発生からわずか15時間ほどの出来事でした。

ベントはなぜ遅れたのか

炉心が溶け始めると、原子炉格納容器の内部圧力が急上昇します。このままでは格納容器そのものが破壊され、放射性物質が制御不能な形で放出されてしまいます。

これを防ぐために行われるのが「ベント」です。格納容器内の気体を意図的に外部へ逃がし、圧力を下げる操作です。放射性物質を含む気体を放出することになりますが、格納容器の破壊という最悪の事態は避けられます。

11日23時頃、1号機の原子炉圧力に異常な上昇が確認されました。格納容器の内部圧力は、設計強度の1.5倍にまで達していました。12日0時6分頃、所長の吉田昌郎氏はベントの準備を指示します。

しかし、ベントは容易には実行できませんでした。国会事故調は、ベント操作に時間を要した原因として3点を挙げています。手順書が直流電源の確保を前提に書かれていたこと、ベントラインが複雑なうえ図面に不備があったこと、そして照明を欠くなど作業環境が過酷であったことです。

⚠️ ここで重要な指摘があります。国会事故調は、現場の運転員の判断や操作の是非よりも、シビアアクシデント(過酷事故)に対する備えそのものが欠けていた点を問題視しました。真っ暗な建屋の中で、電源がない前提の手順書もないまま、放射線量が上がり続ける現場へ向かった運転員たちの奮闘があったとしても、そもそもそうした状況を想定した準備がなされていなかったということです。この論点は、次の【組織編】の中心テーマになります。

3月12日から15日、連鎖する爆発

炉心溶融が進むと、燃料被覆管のジルコニウムが高温の水蒸気と反応し、大量の水素が発生します。この水素が原子炉建屋の上部に溜まり、爆発を引き起こしました。

事故の主要な経過は、次のとおりです。

  1. 3月11日 14時46分:地震発生、1〜3号機が自動停止、外部電源喪失
  2. 3月11日 15時30分頃:津波到達、全交流電源喪失(SBO)
  3. 3月11日 19時30分頃:1号機の燃料が全露出、炉心溶融開始
  4. 3月12日 早朝:1号機の全燃料がメルトダウン
  5. 3月12日:1号機の原子炉建屋で水素爆発
  6. 3月14日:3号機の原子炉建屋で水素爆発
  7. 3月15日 早朝:4号機の原子炉建屋で水素爆発
  8. 3月15日〜16日:放射性物質の放出量が急増

4号機の爆発は、特異なものでした。地震発生時、4号機は定期検査中で運転を停止しており、原子炉の燃料はすべて使用済燃料プールへ取り出されていました。それにもかかわらず爆発が起きた原因について、東京電力は3号機で発生した水素が排気管を通じて4号機へ流れ込んだためと推定しています。

事故は、一つの原子炉の問題では終わりませんでした。隣の号機で起きたことが次の号機に波及し、被害が連鎖していったのです。

どれだけの放射性物質が放出されたのか

大気中に放出された放射性物質の量について、複数の推計が存在します。

東京電力および国会事故調の報告によれば、希ガスが約50京ベクレル、ヨウ素131が約50京ベクレル、セシウム134とセシウム137がそれぞれ約1京ベクレルでした。ヨウ素131とセシウム137の合計は、放射性ヨウ素換算で約90京ベクレル(900ペタベクレル)と推算されています。

推計機関によって数値には幅があります。原子力安全・保安院は2012年2月の発表で約48京ベクレル、原子力安全委員会は2011年8月の発表で約57京ベクレルとしています。福島国際研究教育機構(F-REI)は、ヨウ素131が10〜50京ベクレル、セシウム137が0.6〜2京ベクレルと推定しています。

チェルノブイリ事故との比較では、同事故のINES評価における放出量5,200ペタベクレルに対して、福島第一は約6分の1の規模とされています。同じレベル7でも、放出量には差があります。

放出のタイミングにも特徴がありました。特に3月15日から16日にかけて放出量が急増しています。放出された放射性物質は風に乗って拡散し、雨によって地上に降下しました。ヨウ素131は半減期が8日と短いため現在ではほとんど消滅していますが、セシウム134・137は半減期が長く土壌粒子と結合しやすいため、長期的な汚染の原因となりました。

「10秒早ければ」という指摘

この事故については、技術的な検証がいまも続いています。そのなかに、考えさせられる指摘があります。

失敗学会に寄せられた吉岡律夫氏の分析は、1号機のICの弁の開度に注目しています。津波来襲前の最後のIC起動時、弁の開度が不十分だったのではないか、という指摘です。この分析によれば、もし最後のIC起動があと10秒早ければ、炉心溶融は起きず、ベントも不要だった可能性があるとされています。

⚠️ これはあくまで一つの技術的分析であり、確定した見解ではありません。また、仮に運転員がIC現場へ到達できたとしても、弁の開度が不十分であることを知る手段はなかったとも同氏は述べています。

この指摘が示すのは、運転員個人の責任ではありません。むしろ逆です。たった10秒、あるいは一つの弁の開度といった細部に、これほど巨大な結果が左右されてしまう状態こそが問題だったということです。安全とは、そうした偶然に依存しない形で設計されていなければならないはずでした。

まとめ

2011年3月11日の福島第一原発事故は、地震による外部電源喪失と、津波による非常用電源・直流電源の喪失が重なり、「冷やす」機能が完全に失われたことによって発生しました。1号機では非常用復水器が動いているという誤認が初動を遅らせ、地震から約15時間でメルトダウンに至っています。ベント操作も、電源喪失を想定していない手順書、不備のある図面、過酷な作業環境によって遅れました。3月12日から15日にかけて1号機・3号機・4号機で水素爆発が起き、ヨウ素換算で約90京ベクレルの放射性物質が環境へ放出されました。INESレベル7、チェルノブイリと並ぶ史上最悪級の原子力事故です。

技術的な経緯をたどると、繰り返し浮かび上がる問いがあります。なぜ、電源がすべて失われる事態への備えがなかったのか。次の【組織編】では、この問いを扱います。津波のリスクは事故の前から指摘されていました。それがなぜ対策につながらなかったのか。このシリーズが敦賀原発(1981年)から追い続けてきた「事故隠し」という主題は、そこで一つの到達点を迎えます。

よくある質問(FAQ)

Q. 福島第一原発事故はいつ、どこで起きましたか? A. 2011年3月11日、福島県双葉郡大熊町・双葉町にまたがる東京電力・福島第一原子力発電所で発生しました。同日14時46分の東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.0)と、その約50分後に襲来した津波が引き金です。

Q. 事故の直接的な原因は何ですか? A. 地震で外部電源を失い、津波で非常用ディーゼル発電機と直流電源が水没したことにより、全交流電源喪失(SBO)に陥ったことです。原子炉を「冷やす」機能が失われ、崩壊熱によって燃料が溶融しました。核分裂反応を「止める」機能自体は正常に働いていました。

Q. 原子炉は停止したのに、なぜ溶けたのですか? A. 核分裂反応を止めた後も、燃料の中では放射性物質が崩壊し続けて熱(崩壊熱)を出すためです。停止直後の崩壊熱は運転時の数パーセントに達し、冷却を続けなければ燃料は過熱して溶融します。原発は「止めた後こそ冷やし続ける」必要がある設備です。

Q. 非常用復水器(IC)とは何ですか?なぜ問題になったのですか? A. 原子炉の蒸気を冷やして水に戻し、炉心を冷却する装置で、1号機だけに搭載されていました。電源喪失で状態表示灯が消えたため、運転員はICが動いているか判断できなくなりました。東京電力本店や政府はICが機能していると誤認しており、この認識のずれが初動の遅れにつながりました。

Q. なぜ水素爆発が起きたのですか? A. 炉心が高温になると、燃料被覆管に使われているジルコニウムが水蒸気と反応して大量の水素を発生させます。この水素が原子炉建屋の上部に溜まり、爆発しました。3月12日に1号機、14日に3号機、15日に4号機で発生しています。

Q. 4号機は停止中だったのに、なぜ爆発したのですか? A. 4号機は定期検査中で燃料はすべて使用済燃料プールに移されていましたが、3号機で発生した水素が排気管を通じて4号機へ流れ込んだためと東京電力は推定しています。号機をまたいで被害が連鎖した事例です。

Q. どれくらいの放射性物質が放出されましたか? A. 東京電力および国会事故調の報告によれば、ヨウ素131とセシウム137の合計で放射性ヨウ素換算約90京ベクレル(900ペタベクレル)と推算されています。推計機関により幅があり、原子力安全・保安院は約48京ベクレル、原子力安全委員会は約57京ベクレルとしています。チェルノブイリ事故の約6分の1の規模とされます。

Q. この事故のINESレベルはいくつですか? A. 当初レベル5と評価されましたが、後に最高値のレベル7(深刻な事故)に引き上げられました。レベル7に分類された事故は、チェルノブイリ原発事故と福島第一原発事故の2件のみです。


出典・参考資料

※ 本記事は公表された一次資料・報道をもとに構成しています。放射性物質の放出量など一部の数値は推計であり、機関によって幅があります。事故の詳細な経緯や時刻の一部はWikipediaの記述も参照しており、最新の情報や詳細は各出典元をご確認ください。

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